みんなで当たり前を教えてあげた話
職場に、最近この街に引っ越してきた人がいました。
その人は、仕事は真面目だし、特別な問題があるわけでもありません。
ただ、私たちが「当たり前」だと思っていることを、知らないことがある。
ある日、その人がこの街の慣習を知らなかったことが話題になりました。
「え、それ知らないの?」
「ここでは普通なんだけどな」
そんなやりとりを、私は先輩と一緒に笑いながら話していました。
私は、その場ではこう思っていました。
“だってここではそれが当たり前だし、
教えてあげてるだけだよね。”
正直、自分が間違っているとは思っていませんでした。
でも、その人の少し悲しそうな表情が、なぜか頭から離れなかったのです。
その土地の「当たり前」は、本当にみんなの当たり前?
引っ越してきたばかりの人にとって、その街のルールや空気感は、まだ見えないものが多い。
長く住んでいる私たちには説明がいらないことでも、
外から来た人にとっては、最初から分かるものではない。
それは能力の問題ではなく、
単に「まだ知らない」というだけのこと。
けれど、多数で話しているときほど、その違いは浮き彫りになります。
みんなが同じ意見でうなずく中、
一人だけ違う立場にいる人は、言葉を失いやすい。
私はそのとき、
“合わせられないほうが悪い”
という空気の側に立っていました。
それが無意識だったからこそ、あとからじわじわと違和感が広がったのかもしれません。
教えることと、寄り添うことは少し違う
後から考えてみると、
私たちは「教える」という形をとりながら、
実は陰で共有することで安心していたのかもしれません。
面と向かって、
「ここではこういう文化があるんだよ」
「分かりづらいよね」
そう伝えることもできたはずでした。
そのほうが、きっと相手は理解しやすかった。
そして何より、信頼は生まれやすかったのではないかと思います。
正しさを示すことと、
安心して話せる関係をつくることは、少し違う。
私はそのことを、あとになって気づきました。
上司と部下のあいだで揺れる気持ち
この出来事は、
上司と部下のあいだに立つ人の悩みにも似ています。
上の人の意見に合わせるほうが、波風は立たない。
多数側にいれば、安心できる。
でも、その選択が、誰かを孤立させていないか。
自分は本当に納得しているのか。
そんな問いが、あとから静かに浮かび上がることがあります。
「合わせてもらう」から「一緒に慣れていく」へ
もし、引っ越してきたばかりの人に出会ったとき。
「なぜ合わせられないのか」と考える前に、
「まだ知らないだけかもしれない」と思えたら。
そして、
「一緒に慣れていこう」
そう言えたなら、
関係の空気は少し変わるのかもしれません。
正解はひとつではありません。
でも、話し方を変えることはできる。
向き合い方を選び直すこともできる。
あの日の少し悲しそうな表情は、
私にそのことを教えてくれました。
おすすめの絵本
作・絵: さとう めぐみ
出版社: PHP研究所
あらすじ
こちらの絵本『いちごちゃん』は、いちごの女の子が主人公の楽しい絵本です。いちごちゃんは「おいしいもり」で森の仲間たちとドッジボールをしたり、うまくいかなくて悔しい気持ちを見せたりします。
その様子を見た果物や野菜の仲間たちは心を動かし、やがてカビラーという敵が登場していちごちゃんを連れ去ろうとします。
しかし「やくみレンジャー」たちが助けに現われ、みんなで力を合わせて困難を乗り越えていく物語です。ユニークなキャラクターと賑やかな展開で、最後のどんでん返しに、つい笑みがこぼれてしまいます。
このなかで私が注目したのはレモンちゃん。りんごちゃんと仲良く話している様子と、お話の後半の姿でまったく見方が変わってしまいました。主人公でなくとも、ぜひこのレモンちゃんのようになりたい、と感じる一冊でした。


