なんだか引っかかる会話のあとに残るモヤっとした気持ち
後輩と話しているとき、ある歴史の話題が出ました。
正直に「それ、知らなかった」と伝えたときの返答が、なぜか心に残りました。
はっきりと否定されたわけでも、強い言葉を向けられたわけでもありません。
でも、その一言を聞いた瞬間、胸の奥が少しチクっとした感覚がありました。
「今の言い方、もしかして馬鹿にされた?」
「いや、気にしすぎかな」
そんなふうに、違和感と自己否定が同時に浮かんできます。
こういう感覚って、後から説明しようとすると難しいものです。
誰かに相談しようとしても、「それくらいで?」と言われそうで、
結局、自分の中で飲み込んでしまう人も多いのではないでしょうか。
なぜ「馬鹿にされた」と感じてしまったのかを整理してみる
その場では、「知らないことに対して見下されたのではないか」と感じました。
でも、時間が経って少し落ち着いてから振り返ってみると、
違和感の正体は、相手の言葉そのものだけではなかったように思います。
もしかすると反応していたのは、「知らなかった自分」に対する、自分自身の気持ちではないかと。
知らないことを知られた瞬間、どこかで「恥ずかしい」「劣っている」と感じてしまう。
そんな感覚が、相手の言葉を必要以上に鋭く受け取ってしまったのかもしれません。
特に、身近な人や、立場が近い人との会話では、
ちょっとした言い回しが心に引っかかりやすくなります。
「対等でいたい」
「ちゃんと話が通じる存在だと思われたい」
そんな気持ちがあるからこそ、
無意識のうちに傷ついてしまうこともあるのではないかと。
見方を少し変えたときに見えてきた別の選択肢
後から気づいたのは、
「知らなかった」という事実と、
「馬鹿にされたように感じた」という感情は、必ずしも同じではない、ということでした。
知らなかったこと自体は、良いも悪いもありません。
ただ、その瞬間に「知らない自分はダメなんじゃないか」と感じてしまった。
そこが一番、心が反応していたポイントだったように思います。
そして、ここでひとつ選択肢が生まれます。
・知らなかった自分を恥ずかしいままにしておくか
・「知らなかったから、ここから知ればいい」と考えるか
どちらを選ぶかで、同じ出来事でも、その後の気持ちは大きく変わるのではないかと思います。
これは無理に前向きになる、という話ではありません。
ただ、「自分はどこで傷ついたのか」に気づけると、必要以上に相手の言葉を引きずらなくてもよくなることがあります。
同じような場面に出会ったとき、どう向き合うかは自分で選べる
もしまた、似たような場面に出会ったとき。
その場ですぐに強くなろうとしなくても大丈夫です。
「今ちょっと恥ずかしかったな」
「私は、知らないと思われるのが怖かったんだな」
そうやって自分の気持ちを認めるだけでも、心は少し落ち着きます。
相手を変えなくても、
自分を責めなくても、
受け止め方を選ぶ余地はちゃんとあります。
後輩との会話で、恋人や夫との会話で、
「また同じ気持ちになるかも」と不安になる人もいるかもしれません。
でも、その違和感に一度向き合った経験は、
次に似た場面が来たときの、静かな支えになります。
「私はどうしたいか」
その問いを持てるようになった時点で、
もう十分、前に進んでいるのかもしれません。
おすすめの絵本
作: 新井 洋行
監修: 森野 百合子
出版社: パイ インターナショナル
あらすじ
かいじゅうたちにはそれぞれ怖いものがあります。注射が怖い、高いところが苦手、暗闇が怖い、みんなの前で話すのが苦手など、それぞれのかいじゅうが様々な恐怖を抱えています。
最初、かいじゅうたちはそれぞれの方法でピンチを「乗り切った」と思っていましたが、実はただ逃げているだけでした。そこで彼らは気づきます。怖いときに共通して現れる「ゾワゾワちゃん」という存在に。
物語の鍵は、この「ゾワゾワちゃん」(不安や恐怖の気持ち)を敵として排除するのではなく、仲良くなるという発想です。深呼吸や散歩など、ゾワゾワちゃんと上手に付き合う方法が紹介されています。
次に会話の中で「ゾワゾワちゃん」が出てきたら、うまく付き合いましょうと声をかけてみたいなと思える1冊です。

